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ストーリー
パッケージがおもいっきりミスリードなんだけど、、、てっきり、戦争映画かアクション映画だと思った。よ。 だけどまぁ、ギャングさんだからね。怖いよ。。。ブルブルガクガク。。。
レビュー
司法制度をどう捉えるか、なんだよね。クリップスだとか、ギャングだとか、ノーベル賞だとかそんなことはまぁ副次的な事で、死刑制度がどうあるべきかとか、更生とは何か、とかそういう社会的なコンセンサスをどこに置き、何を善しとするのかを問うているわけだ。そもそものところでギャングを忌み嫌いながら、殺人犯には死を要求する事の是非はともかくとして、そういう想いは人間の持つ最もピュアな感情なのかもしれない。つまり、人はやっぱりちっぽけで小心者でだからこそ己の権利を主張するしやられたらやり返そうとする。そうした負の連鎖からは何も生まれない、とか言いながらも同時に被害者の権利とか想いとかを計りにかけてしまう。だからこそ、ダーティーハリーに活躍の場があるということだろうか。 もうひとつは、彼はあくまでサバイバーだったという視点はどうだろう。弱い者は生き残れない、そんな世界に生きて来た男がもはや死を待つのみという淵に立った時、なんとかして生き残る方法を必死に考えたのではなかろうか。結果としてそのサバイバルに勝ち残る事はできなかったものの、まさに全身全霊をもって、持てる力の全てを使って。もしかしたら、ノーベル賞だって獄中から強力にロビー活動してたかもしれない。ジャーナリストが協力してくれたのはあるけれど、たとえばPR会社とかと契約してたかもしれない。そもそも獄中で「もう俺は平和主義者だから」って事で安全に生きていられるほど甘くないよね、きっと。こういう男(優秀な)は、勝つためには何でもする。なぜなら負ける事は死に直結するから。死をリアルにイメージできるかどうかなんだと思う。結果は敗北だったけれど、果敢に闘った、最後の一日まで闘った、というような共感は彼には無意味だ。結果が出せなかった事にただただ、歯噛みしている事だろう。
「犯罪と命の尊さ」などの執筆で7度(4回はノーベル平和賞、3回はノーベル文学賞)もノーベル賞の候補になっているスタンリー“トゥッキー”・ウィリアムズは、2005年12月13日サンクエンティン刑務所で死刑執行された。アーノルド・シュワルツェネッガーカリフォルニア州知事は「自身の犯した殺人事件を依然として否認し、謝罪も行っていない」として恩赦すること無く刑は執行された。