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ストーリー
暴漢に襲われ婚約者が殺された。復讐は許されるのだろうか?
レビュー
折りしも先日、宮部みゆきの「模倣犯」を読んだところだった。この小説の主題のひとつである所の、加害者の人権ばかりが叫ばれ被害者やその家族がなおざりにされているのでは?という点が否が応でも思い起こされた。
女性という立場でいえば、圧倒的に被害者であるという事実があり、無差別にあるいは思想的な殺人が行われることは稀であるという認識は、宮部の言う「やっぱり女性は殺される側だから」という視点に共通する。さらにこの映画では(ほんの少しではあるが)、アフリカにおけるジェノサイドという現実をも浮き彫りにしている。
人間の本能としての暴力性(復讐心)が呼び覚ませれてしまった場合、そしてそうするしか方法が思いつかず、社会的な審判に任せては置けなくなった時、人間の崩壊を止める手立てはあるのだろうか?単純に”復讐は是であるとか非である”といったことではなく、社会システムとして司法の限界という面を超えて、被害者を真に救済するシステムを持ち得るだろうか。
“ Tha's plenty of ways to die. But you have to figure out a way of life. Now that's hard. ”
どうやら・・・チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」に似ているらしいぞ。
いろいろスラングが使われている。特に刑事役のテレンス・ハワードが使うのだけれど、所謂テンコードと呼ばれるモノ Ten-code 。10-4はOK,了解。10-13はここでは警官の緊急援助要請。これとは別に Eighty-six というのは、コック・バーテン業界のスラング(売切れ、品切れ、お断り、泥酔客、追い返す、追い出す、隠す、消す、殺す)で、ここでは注文の取消し。良く分からないのは、地下鉄でRadiohead(ミュージシャン)という単語が出てくるのだけれどこれにおかしな日本語が充てられていたが、何か下品な異訳があるのだろうか?