全日本少年サッカー大会の決勝はマリノスJr.が制した。時代を映す鏡かもしれないこの大会は、このところJの下部組織であるクラブチームが強さを発揮している。15歳でJデビューを果たした森本もベルディJr.の一員として活躍していた。長く静水FCがこの年代の常勝チームで、代表にも静岡の選手たちが多く選出されている。この清水FCを倒そうと、各県の代表チームは県の選抜チームを作るようになる。
 そんな時代に私もこの大会に出場することが最大の目標だった。よみうりサッカー場の人工芝で試合をすることがひとつの夢であったのだ。今のように給水タイムなんてなかった。審判は地元のチンピラみたいに怖いおじさんだった。指導方法だって先生の情熱だけだったのだとは思う。ひー君やきゅうちゃん、やまんちゃやてらにいがいた、そしてそんな仲間の一人に中西哲夫氏もいた。合宿や遠征、負けて泣いたり勝ってみんなで喜んだりした。結局、出場することは叶わなかったが、友達や先輩は出場した。羨ましかったものである。しかし、この頃の思い出は大切に心の中に残っている。
 いまでもそうだが、私は身長が低かった。28回大会の決勝戦は、技術のマリノス対高さのレイソルというような図式だった。いわづもがな、マリノスを応援していたのだが、160cmの長身を揃えるレイソルに対し小柄ながらうまさと速さのマリノスは、140cmのCFが試合を決める得点を挙げた。いまさら分かってもしょうがないが、私にはスピードが欠落していた。しかし彼にはスピードがあり、頂点を極めた。
 それにしても、クラブチームの施設の充実ぶりには大変驚いた。美しいグランド、トップチームの選手が近くにいる環境、ビデオなどの映像の充実、指導者たちも洗練された教育を受けた方々なのだろう。恵まれた環境を手に入れるにはしかし、数十倍の競争に勝たなければならない。ベルディーの場合は50倍の競争率だそうだ。一方でグランパスはどうしてしまったのだろう。愛知FC(中西氏も所属していた)が安定して全国の上位に食い込んでくる。今後もJの下部組織が強くなるのは必然ではあると考えられるが、こうしたその他の組織には是非ともがんばってもらいたいものである。