24
ストーリー
パッケージがおもいっきりミスリードなんだけど、、、てっきり、戦争映画かアクション映画だと思った。よ。 だけどまぁ、ギャングさんだからね。怖いよ。。。ブルブルガクガク。。。
レビュー
司法制度をどう捉えるか、なんだよね。クリップスだとか、ギャングだとか、ノーベル賞だとかそんなことはまぁ副次的な事で、死刑制度がどうあるべきかとか、更生とは何か、とかそういう社会的なコンセンサスをどこに置き、何を善しとするのかを問うているわけだ。そもそものところでギャングを忌み嫌いながら、殺人犯には死を要求する事の是非はともかくとして、そういう想いは人間の持つ最もピュアな感情なのかもしれない。つまり、人はやっぱりちっぽけで小心者でだからこそ己の権利を主張するしやられたらやり返そうとする。そうした負の連鎖からは何も生まれない、とか言いながらも同時に被害者の権利とか想いとかを計りにかけてしまう。だからこそ、ダーティーハリーに活躍の場があるということだろうか。 もうひとつは、彼はあくまでサバイバーだったという視点はどうだろう。弱い者は生き残れない、そんな世界に生きて来た男がもはや死を待つのみという淵に立った時、なんとかして生き残る方法を必死に考えたのではなかろうか。結果としてそのサバイバルに勝ち残る事はできなかったものの、まさに全身全霊をもって、持てる力の全てを使って。もしかしたら、ノーベル賞だって獄中から強力にロビー活動してたかもしれない。ジャーナリストが協力してくれたのはあるけれど、たとえばPR会社とかと契約してたかもしれない。そもそも獄中で「もう俺は平和主義者だから」って事で安全に生きていられるほど甘くないよね、きっと。こういう男(優秀な)は、勝つためには何でもする。なぜなら負ける事は死に直結するから。死をリアルにイメージできるかどうかなんだと思う。結果は敗北だったけれど、果敢に闘った、最後の一日まで闘った、というような共感は彼には無意味だ。結果が出せなかった事にただただ、歯噛みしている事だろう。
「犯罪と命の尊さ」などの執筆で7度(4回はノーベル平和賞、3回はノーベル文学賞)もノーベル賞の候補になっているスタンリー“トゥッキー”・ウィリアムズは、2005年12月13日サンクエンティン刑務所で死刑執行された。アーノルド・シュワルツェネッガーカリフォルニア州知事は「自身の犯した殺人事件を依然として否認し、謝罪も行っていない」として恩赦すること無く刑は執行された。
19
ストーリー
スパイク・リーが語る、AAから見たアメリカ・ニューヨークの今。
レビュー
現代のアフロ・アメリカンにとっては貧困や差別みたいなことではないよ。もう、社会的にも成功し、その地位を例えば人種というような括りで脅かされる時代ではないよ、むしろ、優秀さゆえに精子を望まれるまでになってるよ、っていう事を明確に既定し、それをベースに現代アメリカを見つめている。そういう意味では、とてもスパイク・リーらしい作品。確かに、同性愛と生殖ビジネス、ホワイトカラー・クライム、イタリアンマフィアと警察、こんな世の中での親子関係・・・とちょっと散漫になってるし物語性みたいなことにも欠ける気はするけれど、そういうものを通して最終的には未来へ希望が見えてくるような結末にしているところにスパイク・リーの本当の力強さを感じる。
ダニア・ラミレスがキュート。
女性弁護士はスパイクの妹さん。
10
ストーリー
ハシゴ車隊に所属するボルチモアの消防士の成長と活躍の記録。
レビュー
迫力ある映像と純粋なストーリー、生身のヒーローなファイヤーファイター!!!こういう映画は映画館でみるべきだね。
日本の消防は世界的にも非常に優れた組織・技術を持つという。しかしながら、日本においてはやはりというか、個人でなく組織のようだ。こういう部分は組織が前面に出てた方がよいだろう。時代を遡れば、江戸の火消しというとちょっと粋でいなせな感じがあり、当時は相当人気の商売だったようだ。面白いのは、昔も今も使用する道具に共通する物が多い(玄蕃桶、竜吐水、梯子、鳶口、刺又)ことだ。 お江戸の科学 人間が手にする物はそんなに変化しないということだろうか。
消防士・警察官などに伝統的にアイリッシュの方が多いという。この映画の中でも、パブ・カトリック・クラダリング・バグバイプ等々いたるところにアイリッシュを意識させる物が出てくる。クラダリング、ハートは愛・両手は友情・王冠は忠誠を象徴~愛と友情のおもむくままに~だそうですよ。
因みにホアキンもトラボルタも太ってる。これは役作りのためらしいよ。消防士さんたちは"待機"ってゆう宙ぶらりんな時間があるので、その間に食べちゃうそうで太ってる方が多いそうな。ほんとかね?
06
ストーリー
知略を生かして上流社会へのし上ろうとする女。その潔い生き様。
レビュー
ウィリアム・サッカレーの『虚栄の市』の映画化。ほとんど原作とリースを筆頭に俳優陣の演技力で持っているようなもの。ドビンとアメーリアの関係は昼メロちっくだし、ステイン侯爵プロデュースのダンスシーンなど「痛い」としか言いようがない。厳しい指摘だとは思うが、基本的にはある一定のレベルは保っている。全体的なトーン、美術、衣装、撮影、それぞれは合格ラインにある。それをいじくり回して、レベルを下げてしまった残念感が否めない。
おそらく原作はもっとどろどろしてるんだと思う。で、そこから監督は女性の強さとかひたむきさみたいなことを汲み取ったのだと思う。それはそれでいいのだけれど、あまりにも中途半端。話の筋を追うあまり、伏線としてあった誤解が唐突に解けてしまったり、一体誰に焦点をあてているのかよくわからなかったりした。一方で、この女性の潔さはよく現れていたと思う。凛として背筋を伸ばしている様、は充分に伝わってきた。武士は食わねど高楊枝、なのだと。んで、ちょっと美化しすぎちゃったのでないだろか?そうする事によって欲望とか上昇思考という人間くささが、全く無くなってしまっている。何かとっても残念でならない。
リース・ウィザースプーンはうまいなー。ウォーク・ザ・ラインで感動して、他の出演作をレンタルしようとして、間違えてブリタニー・マーフィーの「アップ・タウン・ガールズ」なんて超駄作を借りてしまった事が悔やまれる。かぶらない?ぶりたにーと。
29
ストーリー
死んだ夫の生まれ変わりだという少年が現れた。あなたならどうする?
レビュー
本当に元夫なのか、そうじゃないのか、ではない。愛とは何かを問うている。愛に年齢や社会的地位とかそういったことはなんら関係しないのだよ、ということでしょ。少年であるが故に認められず、少年であるが故にピュアであるのだ。大人の男には不快さしか残さない。それはつまり、世間ってものに充分浸かってしまっているからで、あの少年だってすべからく大人の男になってしまうのだ。
ドッグヴィル以来のニコールふぇちとしては、一緒にお風呂に入れたあの少年に激しく嫉妬します。そう、はげしく。