12
ストーリー
圧倒的なパワーで管理しようとする側、そこから必死で逃れようとする者、それを興味本位で楽しむ人々。それぞれを軽いタッチで表現しつつ、強烈に皮肉る。
レビュー
基本的にはメディアの暴走とか、それを支える大衆の覗き見願望とかそういった際限のない欲望の危険性を表現したものだ。人がテレビという媒体とどう向き合って行くか、を問いかけている。所詮は”消費”でしかなく、強い刺激を求め、飽きれば捨てる、そういう行動様式をこそ笑っている。
ジム・キャリーは作られた世界を捨ててリアルな世界に行くのだけれど、最後にお辞儀をする。このお辞儀は、彼もまた作られた登場人物のひとりとして29年間を演じてきた事の表れだとするならば、やっぱり視聴者(劇中人物ではなくこの映画を見ていた我々)は上手く騙されちゃったということになりはしないだろうか。
そこまで穿った見方をしないにしても、経済的な成功を背景に管理する側と自由を求める個人いう構図は決して虚構の世界ではない。非人間的な要求も例えば成功のためというような言葉にかき消され、一方で、地球の裏側に楽園を夢見る労働者は、なんと見慣れた光景か。だからこそ、一見、脱出の成功が感動的に見えるのだけれど、そのことと、死んだはずの親父との再開に違いを見つけなければならない。。。どこにある?
ジム・キャリーがね、親戚のおじさんに似てて。。。どうにかならんものかと。。。
07
ストーリー
ブロンド・ジョークを逆手に取ったブロンドちゃんのサクセスストーリー。日本人にはあまり理解できないと思う。
レビュー
コメディーは難しい。ホントにそう思う。テンポが必要だし、笑わせようとしては駄目だし、気が利いてないといけないし...低予算とかは別にしてこの映画、出来としてはお粗末な物。でも評判がいい(日本人の若い女性に受けている、のは問題外)。ミュージカル化もされてこちらもトニー賞にノミネートされるなど好調。ミュージカルは見てないのであれだけど、これは原作がいいのだろうと。おそらくブロンドへの偏見に対する皮肉ってだけでなくて、全編を通してアメリカ社会に対する風刺とかが効いてるんだろうと。例えば、キャメロン・ディアスって人はいろんな授賞式とかに自分の手作り服とかのコーディネートでやって来る。そういうのって普通はみんなプレタポルテとかのブランド着飾ってくるジャン?でも彼女はそうする。んでも、その服がいつもいまいちなんだってさ。っていう前提があって、 「キャメロン・ディアスにセーターを選ぶアドバイスを・・・」 っていう台詞が出てくる。こういう例がいっぱいあると思われる。つまりこれはアメリカの社会とか風俗を知ってないと日本人には理解できないってことだ。一方で単純にファッション好きの女性のサクセスストーリーとして楽しめるのなら(それはそれでいいけど)、それだけ、女性が活躍するって事に対して免疫がない、ってゆうことだろうか?つまり、ファッションと苦労にもめげずがんばり仕事と恋を手にするってストーリーならなんでもいいのか?
髪型とかメイクとか衣装とかゴージャスでいろんなブランドが協賛してる。でもね、落ち込んで友達に電話する場面があるんだけど、そこでバスローブとパジャマみたいなのを着てるんだけど、あんな田舎のおばあちゃんみたいなのでいいのか?
「I need to marry a Jackie, not a Marilyn.」ってマリリンはモンロー。ジャッキーはジャクリーンさん(J.F.Kの奥さん)でいいのかな?