12
ストーリー
圧倒的なパワーで管理しようとする側、そこから必死で逃れようとする者、それを興味本位で楽しむ人々。それぞれを軽いタッチで表現しつつ、強烈に皮肉る。
レビュー
基本的にはメディアの暴走とか、それを支える大衆の覗き見願望とかそういった際限のない欲望の危険性を表現したものだ。人がテレビという媒体とどう向き合って行くか、を問いかけている。所詮は”消費”でしかなく、強い刺激を求め、飽きれば捨てる、そういう行動様式をこそ笑っている。
ジム・キャリーは作られた世界を捨ててリアルな世界に行くのだけれど、最後にお辞儀をする。このお辞儀は、彼もまた作られた登場人物のひとりとして29年間を演じてきた事の表れだとするならば、やっぱり視聴者(劇中人物ではなくこの映画を見ていた我々)は上手く騙されちゃったということになりはしないだろうか。
そこまで穿った見方をしないにしても、経済的な成功を背景に管理する側と自由を求める個人いう構図は決して虚構の世界ではない。非人間的な要求も例えば成功のためというような言葉にかき消され、一方で、地球の裏側に楽園を夢見る労働者は、なんと見慣れた光景か。だからこそ、一見、脱出の成功が感動的に見えるのだけれど、そのことと、死んだはずの親父との再開に違いを見つけなければならない。。。どこにある?
ジム・キャリーがね、親戚のおじさんに似てて。。。どうにかならんものかと。。。
11
ストーリー
サラリーマンがガード下の赤提灯で酔って愚痴を言う。「いや、なかなかみんな分ってくれないけれど、こっちもいろいろ大変なんだよ。案外、この仕事も楽じゃないんだよね。ホント。もうイヤんなっちゃうよ。ひっく。え?にんにく?大丈夫大丈夫!あっ・・・」(談:ぶらっどさん)。っていう、そういう映画。
レビュー
人間の持つ恐怖であるところの死。しかしながら死ぬ事がない彼らには、そうした永遠こそ恐怖なのだ。生き続ける事、しかも人間の命を奪って生き永らえるというジレンマは、罪の意識や苦悩へと導かれる。そうして、死であろうが永遠であろうがそういう恐怖をかかえながら結局のところ、正しく生きるという事どういうことなのか、という答えを探しているのだよ、ということでしょうか?吸血鬼に名を借りた人間ドラマなのであーる。
でもちょっと分りづらい映画だね。原作読んだほうがいいのかね。
エンドロールの一番最後に「リバー・フェニックスを偲んで」と出てくるのはクリスチャン・スレイターの役にキャスティングされていたが亡くなった為(オーバードーズによる心不全)。享年23歳。ホワキン・フェニックスのお兄ちゃん。ヴィーガン。
ニール・ジョーダンってばなんと『俺達は天使じゃない』の監督。