06
ストーリー
ラドロー一家の波瀾に富んだ歴史。人間にとって正しいルールとは?
レビュー
ここで語られるのは、政治が勝手に戦争を始め、権力と腐敗を生み出し、不完全なルールによって弱者の救済が成されない、そういったことへの怒りだ。そもそも為政者のエゴに辟易して世間に背を向けた父親にとって、神や人間のルールを守る長男よりも、己のルールを果たそうとする次男に愛情が向くのは至極当然のことだ。次男はルールを守らないのではなく、ルールそのものの質が違うのだ。為政者には都合の悪いこうしたルールこそが真に支持されるべきではないかと主張しているように思える。
そしてもう一点は、キリスト教という価値観への疑念だろうか。ネイティブ・アメリカンを語り部にする事でその精神世界を連想させ、神に対する代替を示した。また、彼らへの迫害を示唆し、キリスト教を絶対視することへの疑問を提示しているように思われる。
恋愛映画としての視点でいえば、スザンナの、「イザベルの死を望んだ、おそらくサミュエルの死さえも・・・」という告白は強烈だ。ほとんどこの台詞を言わせるためにここまで彼女を引っぱったのだろう。この心情に気付いてしまったが為に自らを許せなくなって(自殺して)しまう事は、取りも直さず、彼女こそがトリスタンに最も近く最も彼を理解できた人間だった証だといえるだろう。
ヘンリー・トーマス(サミュエル)って、ジェレミー・デイヴィス(プライベート・ライアンのアプス)に似てるね。
02
ストーリー
中国製の毒を盛られたスナイパー。解毒にはアドレナリンを出し続けなければならない。ホントは足を洗いたかったのにね。
レビュー
スピードとキレで勝負の映画。ブラックな要素をいかに盛り込みスタイリッシュに魅せるか、もちろんエロもグロもテンコ盛り。それなりによろしいのでないでしょか。。。でも、こうした手法はそれこそガイ・リッチーがやってきた事だよね?下品さをさほど表に出さなくても楽しませたガイに軍配上げちゃうかな。
ラストだけはね、ちょっと納得いかなくて、留守電の応答の間に落下して欲しかったな。あんなメルヘンチックな告白は要らないでしょ?ん、あれこそが肝か?
エイミー・スマートがチャーミングだったけれど、あーゆーおちゃらけなエッチシーンは女優人生にプラスになりえるのだろうか?ま、Sex and the city とかの例もあるから上手く生かして欲しい物です。
30
ストーリー
暴漢に襲われ婚約者が殺された。復讐は許されるのだろうか?
レビュー
折りしも先日、宮部みゆきの「模倣犯」を読んだところだった。この小説の主題のひとつである所の、加害者の人権ばかりが叫ばれ被害者やその家族がなおざりにされているのでは?という点が否が応でも思い起こされた。
女性という立場でいえば、圧倒的に被害者であるという事実があり、無差別にあるいは思想的な殺人が行われることは稀であるという認識は、宮部の言う「やっぱり女性は殺される側だから」という視点に共通する。さらにこの映画では(ほんの少しではあるが)、アフリカにおけるジェノサイドという現実をも浮き彫りにしている。
人間の本能としての暴力性(復讐心)が呼び覚ませれてしまった場合、そしてそうするしか方法が思いつかず、社会的な審判に任せては置けなくなった時、人間の崩壊を止める手立てはあるのだろうか?単純に”復讐は是であるとか非である”といったことではなく、社会システムとして司法の限界という面を超えて、被害者を真に救済するシステムを持ち得るだろうか。
“ Tha's plenty of ways to die. But you have to figure out a way of life. Now that's hard. ”
どうやら・・・チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」に似ているらしいぞ。
いろいろスラングが使われている。特に刑事役のテレンス・ハワードが使うのだけれど、所謂テンコードと呼ばれるモノ Ten-code 。10-4はOK,了解。10-13はここでは警官の緊急援助要請。これとは別に Eighty-six というのは、コック・バーテン業界のスラング(売切れ、品切れ、お断り、泥酔客、追い返す、追い出す、隠す、消す、殺す)で、ここでは注文の取消し。良く分からないのは、地下鉄でRadiohead(ミュージシャン)という単語が出てくるのだけれどこれにおかしな日本語が充てられていたが、何か下品な異訳があるのだろうか?
24
ストーリー
息子の死の原因を作った嫁が孫娘を連れて帰ってきた。閉ざされた心を開き癒していく様を描いたヒューマン・ドラマ。
レビュー
ラッセ・ハルストレムの映画は大自然が舞台である事が多い。美しい景色や動植物の可憐な様をオブラートにしてはいるが、それは厳しく時として理不尽なそして人間ではどうする事も出来ない圧倒的な力、というような物の象徴として其れを使っているように思える。
悲惨な結果の原因を故意か事故か、という視点で捉えいくつかのエピソードとして絡め、”許す”事の難しさと尊さを示したのは非常に上手い展開だった。モーガン・フリーマンが熊の前に佇み目を閉じる、あの場面に全てが集約されている。全てを投げ出し許すことが出来なければ前に進むことなんて覚束ないよ、ということでしょうか。
ちょっと、、、暴力的な演出が何故だったのか良く分からなかった。またぞろ、正しければ力を行使する事は肯定されるのだ、だからアメリカってというようなことだろうか?それとも何か他に意味があるのかな???
17
ストーリー
2人の銀行強盗とそれに加わってゆく女。お気楽・クライム・ラブ・コメディ
レビュー
アメリカン・ニューシネマを意識しているとかいうと鼻で笑われちゃうよ。あくまで、おちゃらけコメディだね。お泊り強盗って言葉もなんかね、どうでしょ。いや、でも楽しい映画だと思うよ。クライムな映画ってどういう種明かしにするかって問題があると思うんだけど、無難にそしてハッピーに乗り切ったって感じでしょうか。
いつもいつもあくの強い役を(おそらく好んで)演じているケイト・ブランシェットだけど、これは大人しいな。大人しいというか、かわいい女を演じてる。
そして、ビリー・ボブ・ソーントンていうと、Uターンのあの暑苦しく鬱陶しい修理工だよね。癖のある役やらせたらものすごいってことね。